201113

タートルネックを着るために、邪魔なうなじを自分で刈り上げられるバリカンを買った

 

ヘッド部分が回るので便利でおすすめ

 

ただ、間違うと結構目立つし恥ずかしいので手鏡と化粧台の鏡を向かい合わせにして丁寧に作業する、ちまちまと

 

ゆっくり、少しずつ整えていくうちにどんどん上の方までやってしまうので気をつけなくてはいけない

 

よく見ると鏡像が無限に連なっていて吸い込まれそうになる、必死に覗き込むうちに

 

そして終わりなく…

二度目の冬 / 無意識の物語


 日ごとに気温が下がり、煙草を吸いにベランダに出るのも面倒になってきた。去年の今頃は換気扇の下で吸っていたが、来春に引っ越しを控え、レンジフードのニオイが気になりだしたので、今年はそうはいかない。増税したし、いっそのこと禁煙するか。灰を落とそうとしたら、火だねも一緒に3~4メートル下の駐車場に停められたベンツCクラスのすぐ脇に落ちて危なかった。ぶるぶる震えながら、また吸う…


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2020.10.31 階下のC300



 東京から北に越して二度目の冬だが、去年は大いにがっかりさせられた。雪がほとんど降らなかったからだ。生まれ故郷は正真正銘の雪国で、冬の記憶はすべからく白い街とセットだし、少なくともシーズンに1度は、一夜にして生活にかなり支障が出るほど、どかどか降った(どかどかというのは屋根から雪を下ろすときの音です)。初冬にはだいたいタイヤを替え損ねたどん臭い人が原因で各所に渋滞が発生し、温厚で知られる県民(母)も「天気予報見てないの?」とキレていた。その様子を見ていたため、ずぼらな私も先を見越して11月にはタイヤを替えた。ちなみに冬タイヤだとしても凍結路面ではブレーキが利かないので、みんなおそるおそる走る。道行く人も転ばないようにちびちびと歩き、まわりまわっておよそすべてのスケジュールが遅延する。待ち合わせに急ぐ(?)私は、歩道に厚く積もった雪に残るこれまでに行き交った人たちの歩轍を、一足一足慎重に辿りながら歩く。景色の色が減ることで視界の情報はぐっと単純化されるし、心なしか音も籠ってあたりが静かに感じる。氷点下で痛いほど冷たい空気のよそよそしさも相まって、思考のベクトルが自然と内側に向かい、普段以上に悶々としてしまう—。私はそういう冬が好きなのであって、ただ寒い冬はつらいだけだ。あれ、15分ほど遅れて約束の喫茶店に着いたが、友人はまだいない。なんなら店主すらも・・・。






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2017.3.5 実家近くの池




 雪、そして冬が好きだと気づいたのは東京に越してきて初めての12月だった。初めて故郷を離れて、大学の授業やバイト、人間関係にてんやわんやだった私は、もう年末が目前だということに2週目ぐらいまで気づかなかった。さほどカレンダーを意識する機会の無い生活をしていたというのもあるが、やはり一番の要因は気候の違いだったと思う。「こんなに晴れている冬があるんだ」。唯一、年明けに初雪が積もったのを覚えている。中野の四季の森公園の芝生にうっすらと。



 このことを思い出したのは偶然、夢を見たからだ。当時流行っていたスヌード(ねじりドーナツみたいなマフラー)に顔をうずめ、コンサートスタッフのバイトのために珍しく朝から出かける私、両手いっぱいに雪を手に取ってはしゃぐ子ども、それを遠巻きに見守る若い母親。これといって特別な記憶ではなく、完全に忘れ去っていた光景だが、夢から起きがけの私ははっきり「実際に見た光景だ」と感じた。そして少し不思議に思った。正直、その他に大学1年生の記憶はほとんど残っていない。



 それは4年間全体についても言える。去年までは生活のふとした瞬間に東京の風景や友人を思い出して懐かしんだりしていたが、最近はめっきり減ってきた。時間の風化もあるだろうが、多くの友人がわざわざ富山に来てくれ(本当にありがとうございます)、SNSなんかでも気軽に連絡をくれるおかげで、人の記憶が一定の接続を持って更新され続けていることが最大の要因だと思っている。思えば私にとって東京は24年のうち4年を過ごした土地に過ぎないし、そこで出会った友人は今後も付き合っていくことになる人たちだ。シティボーイへのあこがれに胸を膨らませ、東京行きの「はやぶさ」に乗った時と違って、今はそこまで純粋な目的地として「東京」という場所を位置付けているわけではない。


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2015.3.24 上京時はやぶさから撮影した謎の写真。いろいろなことを考えて泣いていた



 一方、様々な理由で没交渉になってしまった人や大切な記憶については頻繁に、かつ鮮明に思い出す。それらは、あの年の初雪と同じように全く意図しないタイミングで、場合によっては最も思い出したくないタイミングで、夢によって呼び起こされ、いろんな感情を喚起する。あの日、あの時、あの場所で・・・。そういう感傷的な記憶は忘れようと思って忘れられるものでもないのだろうけど、あまりにも後ろ向きというか、自己憐憫の気が強すぎると自分に嫌気がさす。それでもやはり、そこから数日は当時のことを考えたり、自分の行動を省みて後悔したり、あるいは正当化したりと、しばらく鬱々として頭の中がそのことでいっぱいになってしまう。何よりも、その「瞬間」の心の感覚や五感までもが追体験したかのようにテクスチャとして甦るので、心身ともに現実に戻れなくなる。



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 だが、それは果たして本当に「記憶」と言えるのか。いついつどこどこに行ったというようなことは裏をとれるが、そこでの会話や見た景色、相手の表情や空気感、そういったものはどの程度「本当らしい」のか。「じゃあお前は何に囚われてそんなに情けないままなんだ」と言われてしまうかもしれないけど、美化されているであろうことも相まって、むしろ一当事者ではない感覚、映画や小説に移入して追体験しているようなある種無責任な感覚に陥っているのではと最近は考えている。もちろん、思い出というのはすごくかけがえのないものだし、救われたことが、何度も、今でもある。ただ、その先には事実があって、人がいるわけで、都合よく美化、加工された形でもてあそぶのはあまりにも不誠実なことだと思う。人との思い出は感傷に浸るための道具ではない。加えて夢がそれを惹起しようとしてくることは念頭に置く必要がある。たとえ過去を参照していたとしても過去そのものではなく、必ずしもあなたの意識下で立ち現れるものでもない、一方で夢を見る主体もまたあなたであり、それは鏡像を認識する以前のまだ曖昧なあなた自身、それが鏡像以前である限り、夢の中のあなたはいかなる示唆も与えないが、同時に鏡を隔てたあなたにとっても赤の他人とは言えず、再帰的に作用する危険性を常にはらんだ、無意識の物語が進行していく。そういった夢や記憶の他者性、攻撃性に自覚的でないと、「虚」が「実」を脅かし続けて、目の前の生活への嫌気は募るばかりだろう。過去に囚われ、生気を失いたくない。私は生きていていいの?目の前の人にそんな言葉を言って、言わせていいわけはない。例えそれが鏡像だとしても



何の話やねんという感じかもしれませんが大事な話なので書き留めました。ありがとうございました。