201120 vacillation

 

 

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180719 高円寺で花火していた青年たち

 

 

 

 

富山に来てからの時間を振り返ると東京にいた頃に比べて穏やか、ともすればかなり停滞していたように感じる

もちろん、仕事の面や細かい部分では進歩や変化もあるけれど、

人間としての自分の変化というのは良くも悪くもこの1年半、あまりなかったとおもう

やはり、土地の要因は大きいのだろうか

 

 

 

 

田舎の住人は安定を好む傾向があるとよく言われるけれど、

それは地方出身者がそうなのではなくて、

そもそも能動的な変化の機会をとらえにくい環境にあるというのが理由なんだと思う

それは都市に比べて土地やコミュニティに根差した規範や慣習、絆が強く働く(減速要因が多い)からだし、

また、人、物、金といった様々なリソースに乏しい(加速要因が少ない)からでもある

そうした環境で生きるうちに、強く変化を求める人は土地を離れ、

そこまでではない人は土地に残る選択をする(もちろん都市で生まれ死ぬ人もいる)

そうして土地土地にグラデーションが生まれる

当然のことだ

 

 

(本当に?)

 

 

 

ーたいまつか、または燃える息の一触で、この世の生が終ったとしよう。肉体は破壊されて転っている。確かにここにあるのは死だね。一方、来世から魂が、……heartだから、心と訳した方がいいかも知れないけれど、ともかく肉体に対立するものが、現世の来し方をふりかえる。そうやって、矛盾のままに生きた生を後悔する……(『燃えあがる緑の木』第二部pp.260-261)

イェーツ「Vacillation」I節を読む~『燃えあがる緑の木』第二部を手がかりにして~ - かるあ学習帳

 

 

 

立ち返ってみると、変化を好む性向と安定を好む性向、人間はどちらもそれぞれ持ち合わせている

生まれてから死ぬまで肉体も精神も変化し続けるという決して逃れられない生命のドグマの中にあって

誰しもが変化の加速、減速、受容、拒絶を繰り返しながら生き続けているわけで、

その人を規定するのは、ただその一定の緊張関係のありようの差なんだろう

 

一つ言えるのは、ブレーキを踏むことはできても、完全に止まることはできないということ(高速道路みたいに…)

 

落ち着いて考えるとすごく怖い

1年ぶりに会った人に対して「変わってしまったな」というさみしい気分を抱くことがあったとして、

それはむしろこちら側が相手の変化を「拒絶した」ということでしかなく、

あるいは「変わっていなくて安心したな」と思った場合には、

いくぶんか願望が先行しすぎているということなのだから

 

そしてそれは自分に対してもそうだ、同一性というのはほとんどが信用に値しない

 

常にあいまいで、矛盾した存在

 

みんな死後に後悔するんだろうか

 

 

 

 

生きるということは、自分自身の変化との向き合い方そのものが変化していく過程=2つの性向の終わりないせめぎあいの過程だ

そして対人関係(特にその極致としての愛すること)においては、

その過程を微分して、ゆらぎ、その大きさや速さ、態様を

どのように捉えるかというのが重要な要素となる

例えば、愛するゆえに変化していく、揺れ動いていく相手を受け入れられず、

引き留め、固定しようとしてしまう臆病さは、

健気で切実でもありながら、

変化を認めない、自分の求めるあなたでいてくれというエゴイズムとも表裏一体で、

その願望は、

書面で縛り付けたり、物理的に縛り付けようとしたり、

記憶や思い出に閉じ込めて愛玩の対象にしてしまったりという形で結実することとなる

 

 

 

 

誰しもそういう感情は持ちうるだろう

だって怖いし

とはいえ、全く変化のない、思った通り、期待を裏切らない人間は

それはそれでリアルな存在ではない

(バーチャル/フィクションか、お人形か、死んでいるかのどれかだろう)

変化してほしくない気持ちと、日々揺れ動き生きる相手を思う気持ち、

その葛藤やエゴ、恐れをどうにか乗り越えて、認め合うこと

とても難しいことだけど、せめて他人と理解しあう上で、この「揺れ動き」が人間を人間たらしめているのだということは心にとめておきたい

皆さんも大切な人の変化におびえてしまう気持ちは大切なんだろうけど、その先にはあまり明るい展開は待ち受けていないかもしれないし

イェーツや大江のいうそれとは違うけど

人が生きて変化していくことへの歓び、愛おしさ、怯え、さみしさ、

全てを抱えながら、お互いが「矛盾のままに生きる生」をどう恐れずにいられるか

少しずつ揺れ動くということを理解して克服していきたい

 

 

イェーツの、ふたつの極の間の生というのはね、僕の解釈だと、……総領事のそれとはくいちがうかも知れないけれどもさ、なにより両極が共存しているということが大切なんだよ。愛と憎しみという両極であれ、善と悪という両極であれ……それを時間についていえば、一瞬と永遠とが共存しているということでしょう?ある一瞬、永遠をとらえたという確信が、つまり喜びなんだね。(『燃えあがる緑の木』第二部p.263)

イェーツ「Vacillation」I節を読む~『燃えあがる緑の木』第二部を手がかりにして~ - かるあ学習帳


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おそらく停滞局面にいるであろう自分も、何かしら日々変容しつつあるわけで、その有り様をしっかり見つめる必要があるなと最近思っています